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公害の原点といわれる水俣病。公式確認から54年目の5月1日、鳩山由紀夫首相が熊本県水俣市で営まれた水俣病犠牲者慰霊式に出席し、首相として初めて謝罪した。「命を守る政治」を旗印に掲げている首相。普天間飛行場移設問題ではみそをつけっぱなしだが、つぎはぎだらけの国の水俣病対策の最終解決までの道のりは険しい。
■半世紀余りもかかった謝罪 「政府を代表して、かつて公害防止の責任を十分に果たすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかった責任を認め、改めて衷心よりおわび申し上げます」 水俣病の原因物質であるメチル水銀に汚染され魚、カラス、人の生命までも奪った水俣湾の埋め立て地に建てられた慰霊碑に、鳩山首相は深々と頭を下げた。 「一つの区切りになった」「長かった。水俣病は終わらない…」 昨年7月に成立した水俣病被害者救済特別措置法は未認定患者救済に大きく道を開いた。“第2の政治決着”。加害企業の「チッソ分社化」問題などで批判も多いが、患者は感無量の様子だった。 検察審査会が「起訴相当」と議決した民主党の小沢一郎幹事長の問題や普天間基地問題など、課題山積でけっぷちに立たされている鳩山首相。中国から上海国際博覧会(上海万博)の開幕式への出席を求められていたというが、慰霊式出席を優先した。 ただ、公式謝罪する首相は鳩山氏が初めてではない。平成7年の“第1の政治決着”の際、ときの村山富市首相が「遺憾の意」を表している。 村山談話の一部を紹介しよう。 「解決に当たり、私は、苦しみと無念の思いの中で亡くなられた方々に深い哀悼の念をささげますとともに、多年にわたり筆舌に尽くしがたい苦悩を強いられてこられた多くの方々の癒(いや)しがたい心情を思うとき、誠に申し訳ないという気持ちで一杯であります」 確かに謝罪はしているが明確に国の加害責任を認めているわけではない。 「政府としてはその時々においてできる限りの努力をしてきたと考えますが、新潟で第二の水俣病の発生を含め、水俣病の原因の確定や企業に対する的確な対応をするまでに、結果として長時間を要したことについて率直に反省しなければならないと思います」 反省はしているが、極めてあいまいな言い回しに終始していた。 鳩山首相の「祈りの言葉」は明確に加害責任を認め、これよりも大きく踏み込んだ形になった。 ■「政治解決」では終わらず 昭和31年5月1日、チッソ水俣工業付属病院の院長が「原因不明の中枢神経疾患が多発している」と水俣保健所に届けたのが「公式発見」だ。 34年、400号と名付けられた猫を使った実験で、水俣病とチッソ水俣工場からの排水との関係を示唆する結果が出ていたが、熊本県も国も水俣湾の漁獲を禁止せず、水俣工場からの排水も止めなかった。 40年6月、新潟・阿賀野川下流に「原因不明の水銀中毒患者がいる」という報告がなされた。「第2の水俣病」の発生だ。公式発見から9年がたっていた。 「国策である高度経済成長を支えるため、チッソの排水を止めず、多くの水俣の患者が犠牲になったばかりではなく、国は企業の非人間的行為を援助した」 元水俣市長の吉井正澄氏は国の不作為による被害の拡大を糾弾する。 自民、社会、さきがけの連立政権時の第一の政治決着の閣議了解(平成7年12月15日)に書かれているのは「水俣病問題の最終的かつ全面的な解決を図るため」という文字だ。 国の示した公害健康被害補償法(公健法)の厳格な基準を不服として増え続けた訴訟。和解勧告が出されていたが、国は「行政の根幹にかかわる問題」として和解に応じようとしなかった。この硬直状態を解決するためにとったのが「政治決着」だった。 この時の各紙の報道を繰ってみた。そこには「政治決着」ではなく「政治解決」という言葉が使われている。 水俣市で取材した何人もの患者らが「これでもう終わりだと思った」と語った。長引く裁判を終わらせるための「苦渋の選択」で“政治解決”の受け入れだった。原告らは関西訴訟をのぞき、裁判を取り下げる。 しかし、これで終わったわけではなかった。 ■変わっていく環境省の役割 「苦しかった」 こう吐露したのは、抗議のために東京・霞が関の環境庁(現環境省)に座り込みに来た患者らの強制退去に加わったある環境省官僚だ。 温暖化問題がクローズアップされる環境省だが、その原点は公害問題だ。 環境省では現在、厚生労働省や農林水産省など他省庁からの出向組も多いが、当時、環境庁を目指した多くの官僚の志望動機は、自然を守ることだったり、経済成長至上主義の反省にたち汚染物質による健康被害を防止・規制したりすることだった。 昭和45年のいわゆる「公害国会」で公害対策関連法案14法案が成立、その翌年に誕生したという経緯がある。 しかし、水俣病訴訟で和解勧告が相次ぐ中、国は企業が犯したことは「汚染者負担の原則(PPP)」として拒否し続ける。平成2年11月、裁判でこのことを表明した後、当時の環境庁企画調整局長は自宅で自分の命を絶った。 「公害被害者の立場に立つはずの環境省が逆になった。おかしいでしょう」と別の官僚は自嘲(じちょう)気味みに話した。 患者と対峙(たいじ)した後に、今度は患者の立場として当時の通産省(現経済産業省)の官僚に詰め寄る。 排水規制の「水質保全法」と「工場排水規制法」(いわゆる水質二法、現水質汚濁防止法)を経済企画庁から環境省が引き継いでいることから、裁判では国の代表者として「加害責任はない」と答弁、患者に立ちはだかった。 「いつのまにか当事者の経産省が傍観者になっていた」。 ■最高裁判決が与えたショック 胎児性水俣病患者のための作業所「ほっとはうす」を運営する加藤タケ子さん(59)は「最高裁の判決を新聞記者から聞かされ、うそでしょう、ありえないと思った」と語る。 信じられずに、何度も聞き返したという。 政治決着で訴訟が取り下げられる中、関西訴訟だけが残った。未認定患者認定の救済を求めた裁判だったが最高裁は、被害を拡大させた国の加害責任を明確に認めた。それだけではない。公健法に基づく患者認定基準より広く患者救済を認めた。 水俣病の重症例だけが患者だと思っていた患者らが「感覚障害」を訴え、救済を新たに求め、裁判が起こっていた。 平成21年7月15日に施行された被害者救済特別措置法の前文に、こう書かれてある。 「水俣病被害の拡大を防止できなかったことについて責任を認められたことであり、政府としてその責任を認め、おわびをしなければならない」。 「水俣病問題の最終解決を図り、環境を守り、安心して暮らしていける社会を実現すべく、この法律を制定する」 法律だけではなく、最大の原告団体である「水俣病不知火患者会」も和解のテーブルについた。 ■「ミナマタ」を世界に発信へ 全国区とはいえないが、実際に水俣を訪ねれば、分かる。ワタリガニ、太刀魚、アジ、穴子、アワビ…。豊富な海の幸に恵まれ、山々に囲まれた水俣は「九州の地中海」とも呼ばれるという。 良質の温泉地もある。昭和の初めは芸者もいるにぎやかな地として栄えたが、水俣病問題で一変した。 「地元の魚は使っていません」 ある温泉旅館は当時、こうした宣伝で客を呼んだ。 「悔しかったですね。汽車が水俣を通るときに、窓にカーテンをかけて、客は息を止めていたんですよ」と元女将は語る。 水俣湾の安全宣言が行われた。客も戻っている。しかし、公式確認から50年の節目だった平成18年、かつての汚染された水俣の光景が何度も報じられ、キャンセルが相次いだ。 「もう終わりにしてほしいというのが本音。でも、それは表だっていえない」 そんな鬱屈(うっくつ)した不満がある。 水俣市が今、目指しているのは環境と福祉の先進地への脱却だ。 偏見を恐れ「水俣病」という名前を変えてほしいという声は今も根強い。 しかし、世界的にも汚染物質が食物連鎖を通して発生した公害病として「ミナマタ」の知名度はピカ一だ。この知名度を逆手にとろうとしている。 分裂した地域のきずなを結ぶことに市職員時代から務めてきた地元学ネットワーク主宰、吉本哲郎氏は「どう地域再生していったのか、これを世界に発信していく。他の地域がうらやむ強みになる」と話す。 政府は、国連環境計画(UNEP)で交渉中の水銀を地球規模で規制する水銀規制条約に「水俣」という名前をつけるよう提案する方針だ。 新生「ミナマタ」の誕生が模索されている。 (杉浦美香・社会部環境省担当) 【関連記事】 ・ 水俣病患者「チッソ分社化」に不安 ・ 首相、「選挙対策ではない」 水俣病慰霊式出席 ・ 「質で勝つ姿に心打たれた」 首相、熊本でイ草農家など視察 ・ 鳩山首相、水俣病の責任認めて謝罪 ・ 「水俣病」偏見や差別、消えぬ不安 地域のきずな、修復模索 ・ 「高額療養費制度」は、もっと使いやすくなる? ・ 首相、国の責任認め謝罪…水俣病慰霊式(読売新聞) ・ 鳩山首相、沖縄県内移設の意向 県民に陳謝 普天間問題(産経新聞) ・ 霧島連山・新燃岳、噴火警戒レベル2に引き上げ(読売新聞) ・ 五月飾りも戦国ブーム? =直江兼続の「愛」も登場(時事通信) ・ カルテル疑惑でウソ申告、課徴金減免見送りへ(読売新聞)
by cx76ei49fw
| 2010-05-07 11:53
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