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■ボクはテントでがんばっている 水・野菜…天気までが貴重だった
平成7年1月17日、兵庫県南部に激震をもたらした阪神大震災。街や人を襲った大きな揺れは、子供たちの体や心に大きな傷を残し、その後も苦しく、つらい被災生活を強いた。神戸市兵庫区の市立明親小学校5年1組(当時)だった野田直嗣さん(26)も、1週間親戚(しんせき)宅に身を寄せた後、53日の間、自宅前の公園に張られた自衛隊のテントで避難生活を送った。 震災の約1カ月後、同組の担任、橘俊一郎教諭(62)の「一番伝えたいことを、絵と文字で表そう」との呼びかけに、テントから通学していた野田さんは緑色のテントを画用紙いっぱいに描いて「ボクはテントでがんばっている」と添えた。 震災当時、5階建てマンションの最上階に姉と両親の4人で住んでいた。姉の上にピアノ、母の頭にテレビが落ちてきたが、幸いにもけがはなかった。亀裂が入り、鉄骨がむき出しになった階段を必死で下りて公園に逃げた。マンションには「立ち入り禁止」の札が張られ、戻ることはできなかった。 生まれつき腎臓の機能が弱かった野田さんにとっては、配給のおにぎりや炊き出しに含まれる塩分が問題だった。橘先生は「直嗣、大丈夫か」とスクーターで様子を見にきてくれた。事情を知った近所の鉄工所のおばさんは、「余ってるから」と新品の炊飯器に小さな流し台、電源まで貸してくれた。懸命に食材を探して三度の食事を作っていた母に、学校に届けられたミニトマトを持ち帰ると、「貴重なお野菜ね」と感激してくれた。 家族4人が横になればすき間もない小さなテント生活。だが、テレビもない寒空の下で、肩を寄せ合って一日の出来事を家族みんなで毎日話した。水に野菜、天気まで、すべてが貴重で、その存在を喜び合った。 小学校卒業後、野田さんは引っ越しに伴い別の学区の中学に通ったが、橘先生の影響で始めたバレーボールは続けた。「頑張れよ」と靴をプレゼントしてくれ、何かと気にかけてくれた先生には、進路を決めた際は必ず報告した。高校卒業後、専門学校で理学療法士の資格を取得。現在、兵庫県姫路市の病院に勤務し、心の病を抱える人のリハビリに取り組んでいる。 「橘先生、僕のために、塩控えめのおにぎり作ってくれたんですよ」 描いたテントには、たくさんの支えに生かされた思いも込められていた。 ◇ 明親小学校5年1組の子供たちが描いた絵は全国、海外で巡回展示され、会場で集められた募金は震災で全壊した神戸母子寮の再建に役立てられた。当時絵を描いた児童たちの今を追った。 ・ d59jndx2のブログ ・ z9x4jf4yのブログ ・ クレジットカード現金化 ・ クレジットカード現金化 還元率 ・ 自己破産
by cx76ei49fw
| 2010-01-09 17:51
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